『ひきこもりでも元気に生きたい シンポジウム』に行ってきました

こんにちは!田平まゆみです☆

ゴールデンウィーク初日は、『ひきこもりでも元気に生きたい シンポジウム』に行ってきました。

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この企画は、「 ひきこもっていても元気に生きる」の著作者の皆さん(高井逸史さん、藤本文朗さん、森下博さん、石井守さん)によるもので、ひきこもり経験者の友人から誘ってもらい、会場でもたくさんの方を紹介してくれました。

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会の流れは、パネリストとしてひきこもり経験者の方3人から、次に家族側からお2人のお話がありました。

玄関から一歩も出られなくなる、希死念慮、歯磨きを一年以上しなかった、自殺未遂、友人の自殺、恐怖、孤独、嫌いな自分、ゲームの中では違う性別で新たな存在として生きていた、、、など。
「カウンセラーからのアドバイスで家で出来る貢献として風呂掃除、料理などを行い家族は大袈裟に感謝してくれ、役に立っている感覚から自分を嫌う時間が減っていった」「抗うつ薬で対人恐怖が和らいだ、時には医療に繋がることも時には必要な場合も」
「元気って何なのか?」「明日はどう生きようかと考えられる世の中にしたい」「保健室登校で先生には色々話していた」、、、など印象的なお話が多々ありました。
保護者の立場からは、
「リラックスしてボーっとしている時に子どもは本音を話してくれると気づいた」「焦らず、任せて、待つ」「ハラスメントから自分を守る防衛本能は人として当然」といった言葉が。

各テーブルにわかれて交流をおこない、テーブル発表しました。
ひきこもり経験者の方とその他の参加者、ひきこもり当事者家族、居場所づくりなどなど取り組みをされている方、、、というメンバーで交流しましたが、
とっても中身の濃い時間でした。

ひきこもり以外にも色々な生きづらさ、苦しみを感じている方がいると思います。ひきこもりは自己防衛本能の表現のひとつだと感じています。
最後の締めの挨拶の中で、「支援者」という言葉の暴力性についてお話がありました。
私もこの間、ハラスメントに付いてまわるパワーバランスについて考えていたので、上から目線の関わり方でなく仲間という考え方がすごく腑に落ちました。
社会的ハラスメントや生きづらさが蔓延しているこの世の中で、「ひきこもること」を良しとせず「就労」や「社会参画」をゴールとする風潮や「支援」のあり方は、まだまだ当事者を苦しめています。
シェルターのように、心の傷が癒えるまで安心してひきこもる事ができる場やそのための経済的支えが求められているな、と感じました。
また、少人数学級の重要性や学校図書館・保健室の役割の大切さも改めて感じました。

打ち上げまでご一緒させていただき、さらに色々と交流させていただき、貴重な時間を本当にありがとうございました!!

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